東海道53次の旅 Part 1-3 六郷橋~天王町駅(横浜市)
ここには当時の宿場のジオラマもあって、楽しめます。
現在の川崎宿の街並みは賑やかで、両側にはビルが立ち並ぶ。飲食店も多い。
焼き鳥丼の美味しそうなお店があったので、ここで昼食兼大休止。
美味しかったんだけど、どんぶり飯とビールで満腹となり、ここから先はしばらく歩くことになりました。まだ品川を出てから20キロくらいしか走ってないけれど、こんな感じで先を急がずゆっくりと進んでいこうと思います。
八丁畷を過ぎてしばらく進むと「市場村の一里塚」に到着です。
一里塚を確認できたのはこれが初めてです。ここは日本橋から5つ目の一里塚なので、やっと20キロということになります。
一里塚の先で鶴見川を渡ります。
京急鶴見駅の少し先で国道15号線を渡り、旧道を進むとキリンビール横浜工場の前に出ます。何年か前に、工場見学に来たことを思い出します。その時は横浜から走ってきたのですが、試飲した出来立ての「一番搾り」が本当に美味しかったです。
中央の軽バンが停まっている駐車場のところにあったような記憶があります。
「東子安一里塚」到着。
日本橋から6つ目(24キロ)です。
ここは看板だけで、一里塚の痕跡はありません。
国道沿いにこれといった旧東海道を感じさせてくれるものは何もなくて、ちょっと単調で飽きてくる区間です。ここはひたすら我慢で走って、国道が横浜駅の南口に着く少し手前、京急の神奈川駅の脇でJRと京急の線路を超えると、神奈川宿に入ります。
当時は海の見える景勝の地であったと看板に書かれていますが、今は横浜の海までは最短でも2キロ近くある感じです。
下の写真の「田中家」は当時から続く唯一の料亭として、今も営業しています。
ちょうど、和装の素敵な女性がお客様をお見送りしている場面に遭遇しました。
おりょうさん、どんな感じの女性だったのでしょうか。
当時からこうしてこの場所で営業を続ける田中屋なんですね。歴史を感じさせてくれます。
さて、ここ神奈川宿に到着したのが既に15時少し前です。
この日は横浜の関内にホテルを予約しているのだけど、横浜はコロナの影響で飲食店は20時までの時短営業中です。一旦ホテルにチェックイン後に夕食にするには、逆算するとどこを今日のゴールにするのか、同行者と相談しながら進みます。
当初の予定では保土ヶ谷宿を過ぎて、「境木小学校前」からバスで関内に向かう予定でしたが、どうやらそこまでは時間的に行けそうもありません。結局、今日のゴールは相模鉄道の「天王寺駅」としました。 日本橋から天王寺駅、GPSの標示は33.7キロでした。時間は15時30分です。スタートして7時間半の東海道の旅でした。
記念すべき東海道53次の初日の旅は、こうして無事終了しました。
何が何でもどこどこまでと決めずに、その日のコンディションでゴールを決めていこうと思います。
33キロという結果はまあ想定通りでした。これからも、だいたい30~35キロ/日くらいを基本にして進んで行けたらいいかなと思います。
東京は明日から緊急事態宣言が発令されます。横浜は蔓延防止措置の区域になっているので、4日後の28日からは、終日飲食店でのお酒の提供ができなるのだそうです。残念ですね。
感染防止には気をつけながら、ささやかな初日の打ち上げでした。